「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない(前編)」

今回はSさん(栃木県女性)の体験談をご紹介します。

(今回の体験談は少し長くなりますので、前編と後編に分けて配信します)

(体験談)

初めの瞑想で、足のほうから身体に向けてエネルギーが入ってくる感じがした。しばらくすると、身体の上のほうに計量カップのような物が出てきて、その中の液体が私の体にかけられた。その中の液体は私には聖水のようなものと思われた。

次の瞑想では金色、赤色、青色の光が見える(前よりも鮮やか)、眉間の辺りが変な感じがした。途中でお宮のような映像が出てきた。赤い鳥居のような映像。(注:鳥居とは神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)である。出典ウィキペディア)
以前はエネルギーが重たい感じだったが、今回は軽い感じになった。

次にまた同じようなビジョンが出てくる。自分が階段のようなところを上っている。その上には神社のようなところが見えた。光の柱で上昇すると至福感を感じていた、らせん状に上昇するときは軽やかさも伴っていた。

ハートの波動アップでは、自分の周囲に細かい霧のような光の粒子がたくさん見えていた。瞑想が終わると太陽神経叢のあたりがかなり活性化しているのが分かった。

超回転の練習では、瞑想の途中でスパークしたようになり、意識が急激にシフトした。このとき近くにガイドのような存在が出てきた。その存在は紫色の上着を着ており、下は緑色の服だった。私はその存在に向かって「どこに行くの?」と質問をした。すると次に「コンセント(差し込み口)」の映像が見えてきた。その近くを見てみると、とてもたくさんのケーブル(電線のコード)が見えた。私はあまりにもその数が多かったので最初は「え!」と思った。しかしその中に一本だけ「キリスト」と書かれたケーブルを見つけた。私はそのキリストのケーブルを手にとって、そのコンセントに差し込んだ…(以下後編に続く)

(コメント)

タイトルにある「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」とはキリストが「天国」を分かりやすく説明したときに使った言葉です。キリストは「天国」は「王が王子のために催す結婚の宴」のようなものだと言ったそうです。ちなみに私自身はキリスト教の信者ではありませんが、今回の体験談で「キリスト」という言葉が出てきましたので、このキリストの喩え話をまずご紹介しましょう。

(マタイ福音書22章より)イエスはたとえを使って彼らに語った。『「天国」は「王が王子のための結婚の宴」を催すようなものである。王は婚宴に町の人達を招いたが、その招かれた人達はなぜか、婚宴に行こうとはしなかった。そこで王は僕(しもべ)を遣わして、招かれた人達に婚宴の用意が出来たことを伝えた。しかし彼らは、そ知らぬ顔をして、畑に行ったり、商売をしたりで、その婚宴には行こうとしなかった。また一部の人は、王が婚宴の招待に使わした僕(しもべ)達を侮辱し、殺してしまった。王は怒り、軍を遣わして彼ら(僕達を殺した者)を殺し、町を焼き払った。王は「婚宴の用意は出来ているが、招かれていたのはふさわしくない人であった」と言った。そして王は僕達に「今度は町で出会った人は誰でも婚宴につれてきなさい」と言った。そこで僕達は善人も悪人もかまわず婚宴に招待したところ、婚宴は人でいっぱいになった。王は来た客を迎えるために婚宴に入ってきたが、その客のうち一人だけ礼服を着ていない人を見つけた。王はその客人に「友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここに入ってきたのですか?」と尋ねた。しかし彼はこの質問には答えず、黙っていた。そこで王は僕達に「この者の手足を縛って、外の暗闇に放り出しなさい。そこで彼は泣き叫んだり、歯噛みをするだろう。」と言った。招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない…』

私がこの話を最初に聞いたときは、正直「この王様ってちょっと過激だな」と感じましたが、後でよくよく考えてみると、このイエスの話は結構的を得ているのではないかと思えるようになりました。体験談のコメントに入る前に、この話を振っておくと面白いのではないかと思い今回敢えてこのイエスの話を紹介させて頂きました。

さてSさんが前半に見たビジョンで聖水、階段および上にある鳥居(お宮)がありました。これは文字通り、「Sさんが神(キリスト意識)にむかう道にいる」ということを意味していると思います。今回興味深かったのはこの鳥居の存在でした。鳥居は人間と神の領域を分ける結界です。つまり人間はこのゲート(門)をとおり神の領域にいけると言うことです。次にガイドが(差し込み口の)コンセントと(それに接続するための)たくさんのケーブルを見せてくれました。体外離脱など霊的世界を探求出来るようになった人達は、必然的にいくらかの霊的能力が付いてきます。実はこのように霊的能力がついてくると、このビジョンのように「たくさんの選択肢が用意される」ということです。つまり「自分がどのような霊的世界、どのような霊的存在と繋がるかは自分で選択せねばならない」ということです。今回Sさんは「キリストのケーブル」を選んで、コンセントに繋げました。これは「自分がキリスト(意識)に繋がる」ということを選択されたということだと思います。これは素晴らしことだと思います。

しかし、このようにキリストのケーブルを選ぶ人は、実はそれほど多くはなく、どちらかと言えば少数派なのです。これがマタイ福音書22章のイエスの話の趣旨です。たとえ王から婚宴へ招待たれても、実際にはその楽しい宴には行かずに、なぜか「畑に行ったり、商売をしたりする人達が殆どだ」ということです。霊的世界を探求する者にとって「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」というイエスの言葉はとても重いものだと、最近感じています。

また婚宴に行くからには、是非「礼服」を着ることを忘れないようにしたいものです。もしそうでなければ、楽しい宴の外に放り出され、暗くて寒い中、ひとりで後悔することなりますからね(笑)。

体験談は次回に続きます。そこで人間が神の領域に入るときに通らねばならないゲート(門)やそこに存在するゲートキーパー(門番)についてお話したいと思います。お楽しみに!

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